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郷土文化遺跡

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郷土文化遺跡

京城紡績事務棟
  • 位置: ソウル市永登浦区永登浦洞4街441-10
  • 概要: 2004年12月31日にソウル登録文化財第135号に指定されたこの建築物は、京城紡績㈱が事務所として使うために1936年に建てた建物だ。京城紡績は綿糸と綿織物を生産する会社として日本帝国の強制占領期だった1919年に韓国の資本で設立され、1970年に㈱京紡と会社名が変更になった。韓国の近代産業の歴史を語る際に欠かすことのできない施設として、現在も本来の姿が大部分残されており、歴史的、社会的価値はもちろん、建築史的な意味もとても大きい。
警察魂
  • 位置: ソウル市永登浦区堂山洞3街2-11永登浦警察署内
  • 概要:永登浦警察署出身で、6.25戦争前後に戦没・殉職した警察官の崇高な犠牲精神を追慕し、その高貴な業績を後代に広く知らせるために2006年6月23日に立てられた記念碑で、永登浦警察署の中にある。
鬼神岩とケヤキ
  • 位置: ソウル市永登浦区新吉1洞4901-1
  • 概要: オリンピック大路沿いの汝矣島セッカンのほとりの大きな岩の下を水が流れているが、人々が回りの景色に見とれて誤って溺死することが多くあり『鬼神岩』と呼ばれた。また、岩の横に樹齢約200年の大きなケヤキの木が一本立っているが、1790年正宗の時代に王妃がここを通りかかった際に、しばらく休んで美しい風景を眺めたことを記念してこの木が植えられたという伝説が伝えられている。その後、集落の人々は息災と安泰を願って1年に1度ここに集って祭祀を行ったとされている。オリンピック道路とノドゥルキルの間にあるので歩いていくことはできないが、向かい側のセッカン橋から見ることができる。
堂山洞府君堂
  • 位置: ソウル市永登浦区堂山洞6街110-71
  • 概要: 堂山洞府君堂は本来、現在の位置よりも約30m右側の大きなイチョウの木のある場所に地神を祭るトチュガリを作って朝鮮時代初期から堂祭を行ってきたとされている。1925年乙丑年の大洪水で多くの人々がここに避難して難を逃れたことから、集落の28戸を保護するために堂を建てた。府君堂には府君堂碑が立っているが、碑文には1450年4月8日に立てたと記録されている。現在の碑は1974年4月15日に立てられたと記録されている。堂の中の中央には府君堂神があり、左右には群雄、七星、 帝繹, 万神、将軍、大監、都堂ハラボジ、ハルモニなどの8神像があり、民族的な価値がある
堂山イチョウ
  • 位置: ソウル市永登浦区堂山洞6街
  • 概要: 朝鮮時代初期に王が行幸の途中で休んでいったことを記念して植樹したもので、その後、集落の人々の精神的支柱となり、村の守護神として祭祀を執り行ってきた。1925年乙丑年の大洪水であたり一帯が浸水したが、村の人々はこの木の下に避難して無事だったことから、周辺に堂を建てて祭祀を捧げることになった。
都堂
  • 位置: ソウル市永登浦区新吉洞285-2
  • 概要: 昔、この新吉里には平野の中央に十字型の川があり、その川には仁川、金浦、漢江を通って多くの漁船が往来した。船の無事と豊漁を願って埠頭の丘にあったアベマキの古木が城隍堂となり、祭祀が行われてきたという。 また、口承によれば、ここに都堂を立てて山神を祀るようになったのは約380年前からだった。
    現在の堂は1949年に建てられたと常享文に記録されている。堂はレンガ造りの韓国式瓦屋根で、堂の内部には幀画があり、 幀画 の下に祭壇の机と祭具が置かれており、天上の右側には『應天上之三光備人間之五福』と書かれている。神像は地神として都堂ハラボジとハルモニが祀られている。神像が数年前に盗難に遭い、現在の物は再び描かれたもので、毎年10月3日に祭祀を行っている。
丸葉ケヤキ
  • 位置: ソウル市永登浦区楊平洞4街184
  • 概要: 韓国に来た最初のプロテスタント宣教師、アンダーウッド宣教師は、韓国に上陸して18年目の1903年に永登浦で初の教会、永登浦長老教会を設立した。教会が徐々に大きくなり、1907年には楊平里に住むキム・ジュンギなど韓国の信徒と共に楊平洞教会を設立した。教会の設立を記念してここに熱帯地方で育つ珍しい樹木である丸葉ケヤキを植えた。 現在樹齢約90年になるこの木をソウル市は市の保護樹に指定して管理している。
反共殉国勇士慰霊塔
  • 位置: ソウル市永登浦区新吉洞20-4
  • 概要: 新吉駅前の汝矣島セッカンを通るノドゥルキル沿いに位置するこの塔は、光復から6.25戦争勃発前まで、民主主義と自由を守るために命を捧げた愛国青年134位を追慕するために、1978年6月25日永登浦区在郷軍人会によって立てられた塔だ。 この塔の中央には「この生命、永遠なる祖国に」という句が刻まれており、この塔の横には詩人の鷺山李殷相の献詩碑があり、毎年6月25日にその殉国勇士を記念する慰霊祭が行われている。
バンハクコッジ府君堂
  • 位置: ソウル市永登浦区新吉洞36-4
  • 概要: ここの白い砂浜と丘には松や藤が茂って景色が良く、鶴が休んでいくということから放鶴洞と呼ばれ、城の中に運ばれていく穀物を製粉する粉引き場があるということからバンアコジと呼ばれ、ここにある堂をバンハクコッジ府君堂と呼んだ。この堂は建てられてから約300年以上経つが、6.25戦争で大部分破損したものを住民が補修した。 口伝によれば、昔、ユン・ジョンスンが洪水で水におぼれ気を失っていたところ、コイが現れて、その背中に乗せられてバンアコジの下の砂浜に運ばれ無事だったということから、ユン・ジョンスンが堂を建てて祭祀を行ったといわれている。
粛宗王子延齢君旧墓域
  • 位置: ソウル市永登浦区新吉7洞1444
  • 概要: 延齢君は朝鮮王朝粛宗の息子で、粛宗25年(1699年)に生まれ、法典上の官制としてのみ残っている名誉職の五衛都摠府の都摠官であったが、粛宗46年(1720年)に21歳の若さで夭逝し、衿川県樊塘里(現在の永登浦区大方初等学校校庭)に安置された。1940年の京城地区区域整理で墓域は忠南礼山群徳山面に移され、現地には神道碑のみ残っていたが、これも1967年8月3日に蘆原区孔陵洞(陸軍士官学校内)に移転された。現在は住民らがこれを残念に思い、大方初等学校の塀に「肅宗王子延齡君明墓碑趾」と刻んで、その昔、王子の墓域だったことを示している。
漢江防御白骨部隊戦跡碑
  • 位置: ソウル市永登浦区楊花洞153
  • 概要: 1950年6月25日に北韓軍が南侵し、ソウルの三角地に駐屯していた第18歩兵連隊(白骨連隊)は前線に出兵し、第3中隊(中隊長中尉キム・サンドク)は連隊本部を守っていた。6月28日、敵がソウルまで侵攻してくると、第3中隊は三角地に陣地を急いで編成し、市街戦を繰り広げたが衆寡不敵で麻浦を経て永登浦に撤収し、漢江の堤防に陣を敷いて川を渡るのを企てる敵と対峙した。
    翌日、戦線視察のために来韓し、漢江周辺の地形と国軍の防御状態を視察したアメリカ極東司令官マッカーサー元帥が米軍の支援を約束したことで士気が上がったこの中隊は、7日間単独で永登浦を防御し、その後、アメリカの地上軍投入および味方のための遅延戦を行うのに大きく寄与した。その後50年以上経った2003年10月1日、当時祖国守護のために劣勢な兵力と装備の中でも奮戦した白骨連隊の兵士の闘魂を永遠に称えるために、ここに戦跡碑が立てられた。

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